はじめてお会いしたのは夏でしたが、真知子さんはこたつに入って寝ていました。
糖尿病で目が見えず、食事が摂れず、歩行も介助でやっとトイレに行けるくらい衰弱しているようでした。それに、見るからに脱水症状を起こしていました。
真知子さんの介護は主に夫の一男さんが行っていましたが、ご夫婦は九州から東京に来て間もなく、暮らしにも慣れていないようでした。
私たち訪問介護の介護士が吉本さんを担当することになり、その日から2人の生活のサポートが始まったのです。
真知子さんは徐々に身体の機能の低下が進み、寝たきりになりました。
ある時は、少しでもお食事を召し上がれるよう介助をしたり
またある時は、訪問看護師と協力し、床ずれを治しました。
拘縮が進み、オムツ交換のときにも「痛い、痛い」と苦痛が伴うようになれば、
少しでも真知子さんが楽に感じられるようなケアができるように、
精一杯皆で工夫してケアに取り組みました。
そのような状況の中で私たちの励みになったのは、真知子さんの「いつもありがとう」という言葉でした。
最期は病院での看取りとなりましたが、私たちが最初に吉本さんと出会ってから3年が経っていました。
一男さんやみんなと振り返った時、「よくやった」「よく頑張った」「よくケアされた」という思うことができました。
そして、3年間妻を支え続けた一男さんに対して、改めて尊敬の念を抱いたのを
覚えています。
妻の病状変化に不安と戸惑いを感じながらも、一男さん自身が悩み、介護士や看護師に相談しながら一つ一つ問題を解決していく姿は、今でも忘れられません。
「年をとっても、つらいことを経験しながらも、人はこんな風に乗り越えることができるのだ」と改めて考えさせられた3年間でした。
最期は病院での看取りとなりましたが、私たちが最初に吉本さんと出会ってから3年が経っていました。
真知子さんの死は良い死だったのか。
一男さんやみんなと振り返った時、「よくやった」「よく頑張った」「よくケアされた」という思うことができました。
そして、3年間妻を支え続けた一男さんに対して、改めて尊敬の念を抱いたのを覚えています。
妻の病状変化に不安と戸惑いを感じながらも、一男さん自身が悩み、介護士や看護師に相談しながら一つ一つ問題を解決していく姿は、今でも忘れられません。
「年をとっても、つらいことを経験しながらも、人はこんな風に乗り越えることができるのだ」と改めて考えさせられた3年間でした。
その後一男さんは真知子さんとの思い出を胸に、デイサービスに通いながら、元気に頑張って過ごしています。この時一緒にケアをした介護士の方たちとは今も仲よくしています。
私たちは人を支援していますが、逆に支援されてもいます。
一つ一つの実践を重ねて成長させていただいているのです。
真知子さんと一男さんから学んだことはたくさんあります。真知子さん、一男さん、そして介護をともにしたケアスタッフの物語は次のケアに生きています。
吉本さん夫婦に寄り添い、迷いながらも必死になって介護をした日々。
その経験が今も私たち介護職のプライドを支えているのです。